これは日記というか、何というか・・・気まぐれ記?
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日記
2011年3月11日金曜日。午後14時40分過ぎ。
いつものようにカンファレンスを終えて、普通にリハを行っている最中。
小さな地震を感じました。
「あ、地震だ」といつものコトのように感じました。
ところが、徐々に徐々に忍び寄るように強くなる横揺れ。
どこかに掴まっていないと立っていられないような揺れになり、慌てて患者さんとともに机の下に避難しました。
机の脚に掴まって揺れに耐えていると、棚に積み上げて設置されていたレターボックスが次々と目の前に落下しました。
いろんなところからキシキシと何かが軋む音がしていました。
今まで生きてきた中で、一番身の危険を感じました。
とにかく怖くて…5分以上経ったんじゃないかと思うくらい、とにかく永く感じました。
ひとまず、大きな揺れがおさまり、改めて辺りを見回すと、天井から下がっている煙遮断板に亀裂が入り、一部落下しました。
リハ室の水槽の水が溢れ、床が水浸し。
3年ほど前に建てた新棟と旧棟との繋ぎ目が裂け、壁のアチコチに亀裂が入りました。
みんな呆然としていました。
心臓のドキドキがいつまでもおさまらず、アドレナリンが大放出。
患者さんの移動を開始し、応急処置的に片付けを始めると、容赦なく余震が襲ってきて、小さな揺れでも大きな不安を感じました。
何が起こっているのか、とにかく情報が知りたくて、ラジオや個室のテレビを付けて、確認しました。
宮城と茨城を震源とする2つの地震が発生。
東北地方・太平洋沖地震。
すでに東北地方には津波が到達していました。
お台場付近や埼玉・千葉の火災の映像。
心配される家族の安否。
家やケータイに電話をかけまくり、メールも打ちました。
呼出し音が鳴っても相手が出ない。
メールにも返事なし。
とにかく、「これ以上の事態が起こらないでほしい」「みんなが無事であってほしい」と祈るような気持ちで上からの指示を待っていました。
とりあえず、待避体制が解かれ、事務的な業務を少しこなし、待ちました。
ようやく、兄からメールの返答があり、無事だと分かりました。
母からもメールがあり、無事を確認。
エレベーターも止まり、患者さんの夕食も運べないため、スタッフみんなでバケツリレー的に運びました。
そして、17時40分過ぎにようやく帰宅許可がおり、急いで帰路に着きました。
ご飯の約束をしていたトモダチに連絡をとり、“またの機会に”と仕切治しを約束。
車を出すと、職場の隣のスーパーはものの見事に店じまい。
ようやく父からメールがあり、無事を確認。
急いで家に帰りました。
とりあえず、自宅では大きな被害はありませんでした。
犬も無事でした。
祖母ともようやく電話がつながり、無事が確認出来ました。
トモダチともメールで連絡し合い、無事を確認。
これで一安心と思いきや、留まるコトのない余震。
だんだん体に感じる揺れの感度が下がってきて、余震が起こり始める前の嫌な感じが感じられるようになりました。
一晩中、ケータイの地震予知速報のサイレンが鳴り響き、その音で犬が怯え、ほぼ一睡も出来ませんでした。
本日、朝起きてみると、新潟中越・長野でも大きな地震があったとのコト。
ニュースの映像を見るだけで涙が出てきました。
そんな不安な中、出勤。
自分自身も精神的にショックなのに、こんな状態で何をするんだ?と思っていると、通常業務命令。
まぁ、今日は半休だったので、最低限のコトだけ行い、帰ってきました。
ホントは今日、『SP~革命篇』の公開初日で、半休で帰りに見に行って来る予定だったのデスが、近場の映画館は全て営業中止。
やむなく、明日、バレンタインのお返しにお菓子を作る予定だったので、買い物をして帰るコトにしました。
スーパーは土曜というコトもあり、大混雑。
しかも、地震の影響でパンやらお弁当やら届かない状態。
なんか、寝不足と人酔いとで、気分が悪くなりました。
ホントに永い24時間でした。
皆様はあの瞬間、そして、今日一日、いかがお過ごしでしたでしょうか。
とにかく、一人でも多くの方が無事でいて頂きたいデス。
とにかく、一日でも早く、コトがおさまって、安心して眠れるようになってほしいデス。
いつものようにカンファレンスを終えて、普通にリハを行っている最中。
小さな地震を感じました。
「あ、地震だ」といつものコトのように感じました。
ところが、徐々に徐々に忍び寄るように強くなる横揺れ。
どこかに掴まっていないと立っていられないような揺れになり、慌てて患者さんとともに机の下に避難しました。
机の脚に掴まって揺れに耐えていると、棚に積み上げて設置されていたレターボックスが次々と目の前に落下しました。
いろんなところからキシキシと何かが軋む音がしていました。
今まで生きてきた中で、一番身の危険を感じました。
とにかく怖くて…5分以上経ったんじゃないかと思うくらい、とにかく永く感じました。
ひとまず、大きな揺れがおさまり、改めて辺りを見回すと、天井から下がっている煙遮断板に亀裂が入り、一部落下しました。
リハ室の水槽の水が溢れ、床が水浸し。
3年ほど前に建てた新棟と旧棟との繋ぎ目が裂け、壁のアチコチに亀裂が入りました。
みんな呆然としていました。
心臓のドキドキがいつまでもおさまらず、アドレナリンが大放出。
患者さんの移動を開始し、応急処置的に片付けを始めると、容赦なく余震が襲ってきて、小さな揺れでも大きな不安を感じました。
何が起こっているのか、とにかく情報が知りたくて、ラジオや個室のテレビを付けて、確認しました。
宮城と茨城を震源とする2つの地震が発生。
東北地方・太平洋沖地震。
すでに東北地方には津波が到達していました。
お台場付近や埼玉・千葉の火災の映像。
心配される家族の安否。
家やケータイに電話をかけまくり、メールも打ちました。
呼出し音が鳴っても相手が出ない。
メールにも返事なし。
とにかく、「これ以上の事態が起こらないでほしい」「みんなが無事であってほしい」と祈るような気持ちで上からの指示を待っていました。
とりあえず、待避体制が解かれ、事務的な業務を少しこなし、待ちました。
ようやく、兄からメールの返答があり、無事だと分かりました。
母からもメールがあり、無事を確認。
エレベーターも止まり、患者さんの夕食も運べないため、スタッフみんなでバケツリレー的に運びました。
そして、17時40分過ぎにようやく帰宅許可がおり、急いで帰路に着きました。
ご飯の約束をしていたトモダチに連絡をとり、“またの機会に”と仕切治しを約束。
車を出すと、職場の隣のスーパーはものの見事に店じまい。
ようやく父からメールがあり、無事を確認。
急いで家に帰りました。
とりあえず、自宅では大きな被害はありませんでした。
犬も無事でした。
祖母ともようやく電話がつながり、無事が確認出来ました。
トモダチともメールで連絡し合い、無事を確認。
これで一安心と思いきや、留まるコトのない余震。
だんだん体に感じる揺れの感度が下がってきて、余震が起こり始める前の嫌な感じが感じられるようになりました。
一晩中、ケータイの地震予知速報のサイレンが鳴り響き、その音で犬が怯え、ほぼ一睡も出来ませんでした。
本日、朝起きてみると、新潟中越・長野でも大きな地震があったとのコト。
ニュースの映像を見るだけで涙が出てきました。
そんな不安な中、出勤。
自分自身も精神的にショックなのに、こんな状態で何をするんだ?と思っていると、通常業務命令。
まぁ、今日は半休だったので、最低限のコトだけ行い、帰ってきました。
ホントは今日、『SP~革命篇』の公開初日で、半休で帰りに見に行って来る予定だったのデスが、近場の映画館は全て営業中止。
やむなく、明日、バレンタインのお返しにお菓子を作る予定だったので、買い物をして帰るコトにしました。
スーパーは土曜というコトもあり、大混雑。
しかも、地震の影響でパンやらお弁当やら届かない状態。
なんか、寝不足と人酔いとで、気分が悪くなりました。
ホントに永い24時間でした。
皆様はあの瞬間、そして、今日一日、いかがお過ごしでしたでしょうか。
とにかく、一人でも多くの方が無事でいて頂きたいデス。
とにかく、一日でも早く、コトがおさまって、安心して眠れるようになってほしいデス。
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