これは日記というか、何というか・・・気まぐれ記?
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「劇場で映画観てきたよ~」報告
昨日の疲れが取れない…
しかも、久しぶりに身体中が筋肉痛…
定期的に運動するようになって、まぁまぁ動いても筋肉痛にはならなくなったのに、ホント久々デス(^_^;)
年なのカナぁ…(T_T)
カタツムリです@@@
今日は映画『るろうに剣心~伝説の最期編~』を見に行ってきました。
期待1割、不安9割で見に行ってきましたが、13日から公開で、4日経ってモーニングショーで見に行ったのに、まだまだ混み混みでした。
およそ原作を知らなそうなおばさま方もいらっしゃったので、佐藤健ファンもいたのでしょ~か?
ストーリーは前作同様、あえて説明はしません。
煉獄のくだりから志々雄の最期までデス。
とにかく殺陣はそれだけで見入ってしまうほど迫力があり、圧倒的な演技でした。
佐藤健の壁走りとかブレイクダンス風の立ち回りとか、やっぱカッコ良かったデス。
でもカッコつけではなく、剣心も志々雄も左之助も多量の血を吐きながら獣のような表情で食らいついていて、まさに“死闘”“死に物狂い”でした。
志々雄の紅蓮腕とか斉藤の牙突とかもよく再現されていたし☆
しかし…何だろ…
とにかく、原作にない余計なシーンが多かったために大事なエピソードがだいぶスリム化されてしまったカンジが…( ̄□ ̄;)
剣心を始めとする、幕末という時代に翻弄されて生きてきた志士たちの立場とか傷とか、そういうのは伝わってはくるんデス。
あの時代にはそれぞれが自分の信じる正義のもとに戦いを余儀なくされていたのに、時代が変わったら罪人になったり英雄になったり…とにかくやるせない気持ちを抱えていて、政治が変わったから「はい、気持ちも鞍替えします」とはいきませんよね。
その辺りの苦悩は見られたかと思いマス。
また、最終決戦の地が煉獄なのも、志々雄の全財産の半分以上を費やしているためであると同時に、制作者側もかなりの額を投じているんだろうから仕方ない。
しかし…
順を追っていきマスと…
まず、師匠とのくだりで、飛天御剣流の奥義は師匠の命と引き替えに獲得するという大事な事実がはしょられている。
剣心が己の命の重さに気づくためには、師匠が命を懸けてそれを教えるはずなのに、割りとアッサリ奥義を獲得してしまう。
しかも薫の生死もハッキリしない状態で、修行に身が入ってしまう剣心の精神面もなんか違うような。
更におまけで言うと、師匠得意の九頭龍閃が出てこない。表現の仕様がなかったのか。
そして、四乃森蒼紫がどうしてもオマケにしか見えない。
剣心を討ちたいと思うのもやっぱ逆恨みとしか思えないし、第一翁殺しちゃっちゃあダメでしょ(^_^;)
戦闘能力としても、剣心と闘ったらザコキャラになっちゃってるし。
剣心の中でそんなに思い入れも無いから、お情けで奥義も披露してもらえない(^_^;)
そして、瀬田宗次郎とのくだり。
展開が早すぎませんか?
宗次郎の闇の部分はパパーッと説明されちゃって終わりで、縮地の要の足を何発か攻撃されたら自我が崩壊してきてしまうなんて。
宗次郎ごときに奥義なんか使えるかって?…う~ん、あそこはもっと時間をかけて欲しかったな~。
そして、左之助が二重の極みを獲得しないまま志々雄に殴り込むという無謀さ。
しかも、最後の戦闘で志々雄vs剣心・斉藤・蒼紫・左之助の4人になった時に、左之助以外みんな刀で切りつけてくるのに、その乱戦の中に拳で入り込んでしまう不自然さ。
そして、それらの結果、志々雄が蒼紫と左之助と絡む度に「何(者)だお前は、邪魔だ」と言うハメになってしまう。
もっと伏線的に志々雄と絡んでいればそんなコト無かったのに。それに志々雄の情報網は優れてるから、少なくても蒼紫のコトは知っててもおかしくないハズなんだけどな。
そして細かいこだわりとしては、志々雄が活動限界を向かえる時、由美の骸を瀕死の状態でわざわざ階段の上に抱えていくのはなぜ?
あれじゃ、志々雄しか燃えないじゃん。
というワケで、“京都大火編”と比べるとアクションは確実に進化していマスが、あまりのスピード進行によって物語の大事な部分がスルーされちゃってるカンジです。
あれだけ人物像もアクションも忠実なのに、物語自体が畳み掛けられてるカンジがして、ちょっと残念でした。
“伝説の最期編”。
ぜひ見てみてください。
かなり評価は分かれると思いマス。
あの終わりのカンジだと、“追憶編”は無さそうデスが。
しかも、久しぶりに身体中が筋肉痛…
定期的に運動するようになって、まぁまぁ動いても筋肉痛にはならなくなったのに、ホント久々デス(^_^;)
年なのカナぁ…(T_T)
カタツムリです@@@
今日は映画『るろうに剣心~伝説の最期編~』を見に行ってきました。
期待1割、不安9割で見に行ってきましたが、13日から公開で、4日経ってモーニングショーで見に行ったのに、まだまだ混み混みでした。
およそ原作を知らなそうなおばさま方もいらっしゃったので、佐藤健ファンもいたのでしょ~か?
ストーリーは前作同様、あえて説明はしません。
煉獄のくだりから志々雄の最期までデス。
とにかく殺陣はそれだけで見入ってしまうほど迫力があり、圧倒的な演技でした。
佐藤健の壁走りとかブレイクダンス風の立ち回りとか、やっぱカッコ良かったデス。
でもカッコつけではなく、剣心も志々雄も左之助も多量の血を吐きながら獣のような表情で食らいついていて、まさに“死闘”“死に物狂い”でした。
志々雄の紅蓮腕とか斉藤の牙突とかもよく再現されていたし☆
しかし…何だろ…
とにかく、原作にない余計なシーンが多かったために大事なエピソードがだいぶスリム化されてしまったカンジが…( ̄□ ̄;)
剣心を始めとする、幕末という時代に翻弄されて生きてきた志士たちの立場とか傷とか、そういうのは伝わってはくるんデス。
あの時代にはそれぞれが自分の信じる正義のもとに戦いを余儀なくされていたのに、時代が変わったら罪人になったり英雄になったり…とにかくやるせない気持ちを抱えていて、政治が変わったから「はい、気持ちも鞍替えします」とはいきませんよね。
その辺りの苦悩は見られたかと思いマス。
また、最終決戦の地が煉獄なのも、志々雄の全財産の半分以上を費やしているためであると同時に、制作者側もかなりの額を投じているんだろうから仕方ない。
しかし…
順を追っていきマスと…
まず、師匠とのくだりで、飛天御剣流の奥義は師匠の命と引き替えに獲得するという大事な事実がはしょられている。
剣心が己の命の重さに気づくためには、師匠が命を懸けてそれを教えるはずなのに、割りとアッサリ奥義を獲得してしまう。
しかも薫の生死もハッキリしない状態で、修行に身が入ってしまう剣心の精神面もなんか違うような。
更におまけで言うと、師匠得意の九頭龍閃が出てこない。表現の仕様がなかったのか。
そして、四乃森蒼紫がどうしてもオマケにしか見えない。
剣心を討ちたいと思うのもやっぱ逆恨みとしか思えないし、第一翁殺しちゃっちゃあダメでしょ(^_^;)
戦闘能力としても、剣心と闘ったらザコキャラになっちゃってるし。
剣心の中でそんなに思い入れも無いから、お情けで奥義も披露してもらえない(^_^;)
そして、瀬田宗次郎とのくだり。
展開が早すぎませんか?
宗次郎の闇の部分はパパーッと説明されちゃって終わりで、縮地の要の足を何発か攻撃されたら自我が崩壊してきてしまうなんて。
宗次郎ごときに奥義なんか使えるかって?…う~ん、あそこはもっと時間をかけて欲しかったな~。
そして、左之助が二重の極みを獲得しないまま志々雄に殴り込むという無謀さ。
しかも、最後の戦闘で志々雄vs剣心・斉藤・蒼紫・左之助の4人になった時に、左之助以外みんな刀で切りつけてくるのに、その乱戦の中に拳で入り込んでしまう不自然さ。
そして、それらの結果、志々雄が蒼紫と左之助と絡む度に「何(者)だお前は、邪魔だ」と言うハメになってしまう。
もっと伏線的に志々雄と絡んでいればそんなコト無かったのに。それに志々雄の情報網は優れてるから、少なくても蒼紫のコトは知っててもおかしくないハズなんだけどな。
そして細かいこだわりとしては、志々雄が活動限界を向かえる時、由美の骸を瀕死の状態でわざわざ階段の上に抱えていくのはなぜ?
あれじゃ、志々雄しか燃えないじゃん。
というワケで、“京都大火編”と比べるとアクションは確実に進化していマスが、あまりのスピード進行によって物語の大事な部分がスルーされちゃってるカンジです。
あれだけ人物像もアクションも忠実なのに、物語自体が畳み掛けられてるカンジがして、ちょっと残念でした。
“伝説の最期編”。
ぜひ見てみてください。
かなり評価は分かれると思いマス。
あの終わりのカンジだと、“追憶編”は無さそうデスが。
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