これは日記というか、何というか・・・気まぐれ記?
Category :
「劇場で映画観てきたよ~」報告
本日、鑑賞したのは『スラムドッグ$ミリオネア』。
アカデミー賞8部門を受賞した、今一番の注目作!
という、話題性先行の映画はいつもはあまり見たくならないのデスが、今回は作品のあらすじを読んで、純粋に興味を持ったので見て来ました。
まぁ、いつものワタシの悪い癖で、あまり期待していくとがっかりするコトが多いので、なるべく期待しないようにしていったのデスが。
舞台はインド。でもダニー・ボイル監督による、イギリスの映画。
原作は『ぼくと1ルピーの神様』。
インドのスラムで育った青年・ジャマールが、あの世界的有名番組“クイズ ミリオネア”に出演し、医者でも弁護士でも脱落していった、あと1問でミリオネアというところまで勝ち進んだコトでイカサマを疑われ、警察の取調べを受けるところから始まる。
なぜ彼は答えを知りえたのか・・・?警察の取調べの中から明らかになっていく。
A インチキだった
B ついていた
C 天才だった
D 運命だった
ここだけ読むと、謎解きのような映画に思えマスが全く違って、彼に出題された問題の1問1問の答えには、彼がスラムで兄のサリームとともに生き抜いてきた人生そのものが反映されている。
今思うと、ちょっと作りが『フォレスト・ガンプ 一期一会(94)』に似てるカモ。
そして、彼とラティカとの純粋な初恋物語がそこにはあった。
というのが、あらすじ。
インドのスラムでの暮らしが物語のベースにあるわけデスが、その暮らしを目の当たりにするだけでいろいろ考えさせられマス。
小さい時から貧しさゆえに物乞いをし、詐欺や小商売をして生計を立て、学校にも行けない。
宗教的対立による闘争で家族を失い、子供たちはヤクザに拾われて、二度と抜け出せない闇の世界へと堕ちていく。
しかも、スラム出身というだけで常に世間からは疑いの目でみられ、這い上がって行く術がない。
そんな希望の見出せない世界にたまたま生まれてしまっただけで、苦しい生活を強いられている。
サリームとジャマール兄弟は、そんな希望のない世界の中でささやかな楽しみや喜びを見出し、時に対立し、それでも最終的には協力し合って生き抜いていきマス。
その姿は、強くてたくましくて、生きるためにやむなく悪事もたくさん働くけど、そうせざるをえない現実を思い知らされ、これが現実なんだな・・・と改めて心が痛みマス。
日本という、経済的・治安的にも安定した国に生まれただけで、こんなにも平和に安全に暮らせるコトが当たり前になっているだけに、世界の実情を目の当たりにすると、この何気ない生活に感謝して、しっかり生きなきゃと思いマス。
この物語の軸にあるのは、ジャマールとサリーム兄弟の愛,そして、ジャマールとラティカの初恋。
サリームは兄という立場から、常にジャマールにいじわるをするけど、最終的には悪から身を守ってくれる。それは大人になってからも変わらず、サリームはジャマールに酷い裏切り行為をし、ジャマールからの信用を失うけど、やはり最終的にはジャマールのコトを思っている。
そんなサリームをジャマールは小さい頃から慕っていて、サリームの裏切り行為により一時期は兄を恨むけど、やっぱり兄としてサリームを愛している。
苦しいスラム生活を生き抜くコトで絆を強めたその兄弟愛は、とてもステキなもので、それだけにラストは感動しました。
また、ジャマールとラティカの初恋。
これもとても純粋で、ステキなものでした。
何よりラティカはすっごくcuteで、ジャマールが幼い頃から必死で彼女を守ろうとするのがよく分かりマス。
ジャマールは見た目こそパッとしない青年だけど、その誠実さや純粋さはとても好感を持て、すごく魅力的に見えマス。ジャマールの人生はラティカへの愛に溢れていて、それはクイズの回答の中にも見え隠れしていマス。
それだけにいろんな苦難を乗り越えて迎えたラストは、とても痛快で、感動しました☆
まぁ、ラストに関して言えば、「それで終わり!!?」と思ってしまう部分もあり、インド映画みたいな要素が最後にみられ、ちょっとウケてしまいました( ̄▽ ̄)
作品全体も途中ちょっと間延びして退屈に思える部分もありましたが、物語の軸やその最終的な流れは良かったし、素直に感動して涙も出ました。
良い作品だと思いマス。
絶賛というほどではないけど。
一度ご覧になって見てください。
アカデミー賞8部門を受賞した、今一番の注目作!
という、話題性先行の映画はいつもはあまり見たくならないのデスが、今回は作品のあらすじを読んで、純粋に興味を持ったので見て来ました。
まぁ、いつものワタシの悪い癖で、あまり期待していくとがっかりするコトが多いので、なるべく期待しないようにしていったのデスが。
舞台はインド。でもダニー・ボイル監督による、イギリスの映画。
原作は『ぼくと1ルピーの神様』。
インドのスラムで育った青年・ジャマールが、あの世界的有名番組“クイズ ミリオネア”に出演し、医者でも弁護士でも脱落していった、あと1問でミリオネアというところまで勝ち進んだコトでイカサマを疑われ、警察の取調べを受けるところから始まる。
なぜ彼は答えを知りえたのか・・・?警察の取調べの中から明らかになっていく。
A インチキだった
B ついていた
C 天才だった
D 運命だった
ここだけ読むと、謎解きのような映画に思えマスが全く違って、彼に出題された問題の1問1問の答えには、彼がスラムで兄のサリームとともに生き抜いてきた人生そのものが反映されている。
今思うと、ちょっと作りが『フォレスト・ガンプ 一期一会(94)』に似てるカモ。
そして、彼とラティカとの純粋な初恋物語がそこにはあった。
というのが、あらすじ。
インドのスラムでの暮らしが物語のベースにあるわけデスが、その暮らしを目の当たりにするだけでいろいろ考えさせられマス。
小さい時から貧しさゆえに物乞いをし、詐欺や小商売をして生計を立て、学校にも行けない。
宗教的対立による闘争で家族を失い、子供たちはヤクザに拾われて、二度と抜け出せない闇の世界へと堕ちていく。
しかも、スラム出身というだけで常に世間からは疑いの目でみられ、這い上がって行く術がない。
そんな希望の見出せない世界にたまたま生まれてしまっただけで、苦しい生活を強いられている。
サリームとジャマール兄弟は、そんな希望のない世界の中でささやかな楽しみや喜びを見出し、時に対立し、それでも最終的には協力し合って生き抜いていきマス。
その姿は、強くてたくましくて、生きるためにやむなく悪事もたくさん働くけど、そうせざるをえない現実を思い知らされ、これが現実なんだな・・・と改めて心が痛みマス。
日本という、経済的・治安的にも安定した国に生まれただけで、こんなにも平和に安全に暮らせるコトが当たり前になっているだけに、世界の実情を目の当たりにすると、この何気ない生活に感謝して、しっかり生きなきゃと思いマス。
この物語の軸にあるのは、ジャマールとサリーム兄弟の愛,そして、ジャマールとラティカの初恋。
サリームは兄という立場から、常にジャマールにいじわるをするけど、最終的には悪から身を守ってくれる。それは大人になってからも変わらず、サリームはジャマールに酷い裏切り行為をし、ジャマールからの信用を失うけど、やはり最終的にはジャマールのコトを思っている。
そんなサリームをジャマールは小さい頃から慕っていて、サリームの裏切り行為により一時期は兄を恨むけど、やっぱり兄としてサリームを愛している。
苦しいスラム生活を生き抜くコトで絆を強めたその兄弟愛は、とてもステキなもので、それだけにラストは感動しました。
また、ジャマールとラティカの初恋。
これもとても純粋で、ステキなものでした。
何よりラティカはすっごくcuteで、ジャマールが幼い頃から必死で彼女を守ろうとするのがよく分かりマス。
ジャマールは見た目こそパッとしない青年だけど、その誠実さや純粋さはとても好感を持て、すごく魅力的に見えマス。ジャマールの人生はラティカへの愛に溢れていて、それはクイズの回答の中にも見え隠れしていマス。
それだけにいろんな苦難を乗り越えて迎えたラストは、とても痛快で、感動しました☆
まぁ、ラストに関して言えば、「それで終わり!!?」と思ってしまう部分もあり、インド映画みたいな要素が最後にみられ、ちょっとウケてしまいました( ̄▽ ̄)
作品全体も途中ちょっと間延びして退屈に思える部分もありましたが、物語の軸やその最終的な流れは良かったし、素直に感動して涙も出ました。
良い作品だと思いマス。
絶賛というほどではないけど。
一度ご覧になって見てください。
PR
Category :
「劇場で映画観てきたよ~」報告
今回、有楽町まで映画を観に行って来ました!
なぜそこまで行ってきたかといえば、まだうちの田舎の方では上映されていない作品を見るためであり、その作品がうちの田舎の方まで来ると確信があれば観には行かないのデスが、それがなかったので・・・^^;
この作品は劇場で観るべきカナと思ったし、実際観に行って正解だったし、今のところ、ワタシの中では“今年イチ押し”の作品デス(>_<)!!自信を持ってオススメしマス。
今回鑑賞した映画『ディファイアンス』は、ベラルーシにおいてナチスの侵攻により迫害を受けたユダヤ人たちをまとめ、生き延びる術を教え、1941年から終戦を迎える1945年の間に最終的に約1200名もの同胞を生存へと導いた兄弟の話で、実話に基づくものデス。
主演はダニエル・クレイグ(007シリーズ)、監督はエドワード・ズウィック(『マーシャルロー(98)』『ラストサムライ(03)』)。
ワタクシ、以前にも申し上げたカモしれませんが、戦争映画ってけっこ~見るんデス。
しかも、ナチスとかユダヤ人虐殺をテーマにした作品は、観た後すごく気持ち的に重くなって、胸が苦しくなると分かっていても観てしまうんデスね^^;どうしてもユダヤ人迫害をテーマにした作品は悲しく残酷なものが多く、『シンドラーのリスト(93)』や『戦場のピアニスト(02)』などは一度観ただけで1週間くらいは内容を引きずって重い気分になってしまい、「とうぶん観たくない」と目を背けてしまうのデスが、この作品は観た後すごく爽やかな気分になり、「また何度でも観たい」と思えるのデス。
それは何故かというと、ユダヤ人たちが森の中で共同体を作り、ドイツ軍に対して果敢に抵抗していく話が幹ではありマスが、これはそれを成功させるために奮闘した兄弟の愛の物語であり、実話で、最終的に希望のある結末に至ったという事実があるためとても安心して観られるし、感動して幸せな気分にさえなるのデス。
生きるコトの幸せを実感出来るというか。
生きるコトの幸せを実感出来るというか。
あらすじをザッと紹介しマスと・・・主役であるビエルスキ兄弟は4兄弟(長男トゥヴィア,次男ズシュ,三男アザエル,四男アーロン)。1941年からナチスはベラルーシにおいてユダヤ人狩りを始め、それにより兄弟は両親を殺され、兄弟の上2人は妻と子供を失い、絶望の淵にいました。そして、森の中で隠れ処生活を始めマスが、まもなく数人の同胞が森に潜んでいるコトが分かり、徐々に人数が増えていきマス。
最初は食料などを与えてくれる兄弟に敬意を払っていた人々は、人数が増えるたびに食料や武器の調達が困難になっていく現状に不信感を抱き始めマス。
そんな時、トゥヴィアは「俺たちは獣みたいに追われる。でも俺たちは獣じゃない。俺たちはこの森で生活するコトを選んだからここにいる。生きるコトが(ドイツ軍に対する)復讐であり、自由の日々を手に入れるコトが俺たちの勝利。真の生を勝ち取るためにたとえ死ぬコトがあっても、生きようとして死ぬのは“人間らしい死に方”と言えるんじゃないか」のようなコトを言い聞かせマス。
そして、トゥヴィアをリーダーとして、人々は他人任せでは無く、それぞれ仕事を持ち、協力し合って共同体としての人間らしい生活を取り戻していくのデス。
そんな時、ゲットー閉鎖の一報を聞き、生き残った同胞が数十名いると知ったトゥヴィアとアザエルは彼らを助けに行きマス。
しかし、正義の見方気取りでまた人数を増やし、食料や武器が困窮するコトに反発したズシュは、ドイツ軍への直接的な制裁を加えるために共同体を離れ、兄弟と決別し、数名の精鋭とともにソ連赤軍に参加して行きマス。
こうして、兄弟が分裂してそれぞれ生き残る道を模索していくわけデスが、中でもリーダーとしてのトゥヴィアは苦悩の連続で、食べ物はみんなに分け与えた後の残りを食べ、具合が悪くてもみんなに行き渡った後薬を飲み、共同体のルールに反する者は処罰し、リーダーとしての資質や人間としての品性を疑われようとも共同体を統率していかなければならないのデス。
孤独な任務だったと思いマス。
その苦悩や葛藤をダニエル・クレイグが憂いを含んだ目の表情で、見事に表現していました。
でも、一見するとトゥヴィアだけが頑張ってるように見えマスが、途中何度も危機に陥って、観ていて体中に力が入ってしまう場面が多々あるのデスが、その危機を兄弟が力を合わせて脱していくので、やっぱりこの“生きるためのディファイアンス”は、兄弟4人の力が結集してこそ成し遂げられたと言え、トゥヴィアは一人ではなかったんだと実感させられるのデス。
最終的に兄弟4人の姿を見た時、それはすごく誇らしく希望に満ちていて、爽やかな気持ちになりマス。
そして、自然と温かな涙が流れました(T_T)
戦争映画といって目を背けず、純粋に兄弟愛の物語として観て頂けると、とても感動する作品デス。
この作品が出た時、“第二のシンドラー”という代名詞で呼ばれたそうデスが、兄弟は戦後このことに関してはいっさい語ろうとはしなかったそうデス。
それは現代人にとっては“ヒーロー像”の表れと思えマスが、実際に体験した者にとっては二度と思い出したくない悲劇でしかないからだと言えマス。トゥヴィアを始め、兄弟は皆、生きるために必死だったとはいえ、盗みや殺人を犯さなければならなかったのデスから、想像を絶するような心の傷が残っていたんだと思いマス。
それに、その当時、ビエルスキ兄弟の共同体の他にもいくつもの抵抗勢力はあって、彼らは概ね森で暮らしていたそうデス。
だから兄弟自身、自分達が特別という気はしなかったのだと思いマス。
でもこの作品を通して、人間の尊厳を守るために頑張って生きようとする人々の姿を見て、ただ普通に生きている日々の大切さや素晴らしさを実感できたし、またその平和な日々を守るコトがいかに重要か教えられました。
驚いたコトに、彼らの共同体はいつ命の危機が迫るか分からない緊張状態で暮らしていたにもかかわらず、学校や保育所なども作って運営していたそうデス。
日常の生活行為だけでなく、教育や就業など、人が各々の人生を生きていく上で必要なコトを全て行い、ホントに人間らしい生活を実現していたんだと思うと、何不自由なく暮らせているのに不平不満ばかり言って暮らしている自分が恥ずかしく思えました。
また、この作品は生活と戦闘とを繰り返していくのデスが、そんな中にもみんなちゃんと幸せを見出していて、三男アザエルはハイアという女性と結婚し、次男ズシュはベラ,長男トゥヴィアはリルカという新しい伴侶を見つけ、それぞれ終戦後も幸せな家庭を築いたそうデス。
戦争映画の中にはラヴロマンスが入り込む余地がないコトが多いデスが、この作品はそういった側面での楽しみもありマス。
というか、本日の書き込み1でも書きましたが、ダニエル・クレイグがカッコ良い(≧▽≦)/
スイマセン、素晴らしい作品なのにこんなヨコシマな考えを持ち込みまして・・・^^;
でも、最後に兄弟たちの実際の写真が出るのデスが、みんな美男子デスよ。
ビックリするくらい!!ホント、俳優なんじゃないか!?ってくらいデス。
というか、ぶっちゃけそれぞれの役者さんよりカッコ良いカモ^^;
まぁ、役者さんそれぞれ器量良しではありマスが、種類が違うというか。実際の本人たちの方が上品な顔立ちしてマスね。王室貴族みたいな。
実際、トゥヴィアの妻となったリルカは初めてトゥヴィアに会った時のコトをのちに「こんなにカッコ良い人がこの世にいるなんて思わなかった。一目惚れね。」と語ったそうデス。
良いな・・・(←バカ^^;)
とまぁ、いろんな意味での感動や楽しみのある作品デス。
前述の通り、今のところワタシの“今年のイチ押し”デス。
たぶん、地元にまでロードショーが来たら、もう一度見に行くと思いマス。
DVDはおそらくほぼ確実に買いマス。
皆サマもどんな形でもいいので、ぜひ一度ご覧になって下さい!!
(追記)
しかし、この作品の原作は“ディファイアンス ヒトラーと闘った3兄弟”というものなのデスが、劇中に出てくる兄弟は4人なんスよね。
末のアーロンは小さくて、抵抗勢力に加わっていた実感がなかったのか・・・?
でも、けっこ~物語上は貢献してたのデスが、それはフィクションの部分なんでしょかね?
最初は食料などを与えてくれる兄弟に敬意を払っていた人々は、人数が増えるたびに食料や武器の調達が困難になっていく現状に不信感を抱き始めマス。
そんな時、トゥヴィアは「俺たちは獣みたいに追われる。でも俺たちは獣じゃない。俺たちはこの森で生活するコトを選んだからここにいる。生きるコトが(ドイツ軍に対する)復讐であり、自由の日々を手に入れるコトが俺たちの勝利。真の生を勝ち取るためにたとえ死ぬコトがあっても、生きようとして死ぬのは“人間らしい死に方”と言えるんじゃないか」のようなコトを言い聞かせマス。
そして、トゥヴィアをリーダーとして、人々は他人任せでは無く、それぞれ仕事を持ち、協力し合って共同体としての人間らしい生活を取り戻していくのデス。
そんな時、ゲットー閉鎖の一報を聞き、生き残った同胞が数十名いると知ったトゥヴィアとアザエルは彼らを助けに行きマス。
しかし、正義の見方気取りでまた人数を増やし、食料や武器が困窮するコトに反発したズシュは、ドイツ軍への直接的な制裁を加えるために共同体を離れ、兄弟と決別し、数名の精鋭とともにソ連赤軍に参加して行きマス。
こうして、兄弟が分裂してそれぞれ生き残る道を模索していくわけデスが、中でもリーダーとしてのトゥヴィアは苦悩の連続で、食べ物はみんなに分け与えた後の残りを食べ、具合が悪くてもみんなに行き渡った後薬を飲み、共同体のルールに反する者は処罰し、リーダーとしての資質や人間としての品性を疑われようとも共同体を統率していかなければならないのデス。
孤独な任務だったと思いマス。
その苦悩や葛藤をダニエル・クレイグが憂いを含んだ目の表情で、見事に表現していました。
でも、一見するとトゥヴィアだけが頑張ってるように見えマスが、途中何度も危機に陥って、観ていて体中に力が入ってしまう場面が多々あるのデスが、その危機を兄弟が力を合わせて脱していくので、やっぱりこの“生きるためのディファイアンス”は、兄弟4人の力が結集してこそ成し遂げられたと言え、トゥヴィアは一人ではなかったんだと実感させられるのデス。
最終的に兄弟4人の姿を見た時、それはすごく誇らしく希望に満ちていて、爽やかな気持ちになりマス。
そして、自然と温かな涙が流れました(T_T)
戦争映画といって目を背けず、純粋に兄弟愛の物語として観て頂けると、とても感動する作品デス。
この作品が出た時、“第二のシンドラー”という代名詞で呼ばれたそうデスが、兄弟は戦後このことに関してはいっさい語ろうとはしなかったそうデス。
それは現代人にとっては“ヒーロー像”の表れと思えマスが、実際に体験した者にとっては二度と思い出したくない悲劇でしかないからだと言えマス。トゥヴィアを始め、兄弟は皆、生きるために必死だったとはいえ、盗みや殺人を犯さなければならなかったのデスから、想像を絶するような心の傷が残っていたんだと思いマス。
それに、その当時、ビエルスキ兄弟の共同体の他にもいくつもの抵抗勢力はあって、彼らは概ね森で暮らしていたそうデス。
だから兄弟自身、自分達が特別という気はしなかったのだと思いマス。
でもこの作品を通して、人間の尊厳を守るために頑張って生きようとする人々の姿を見て、ただ普通に生きている日々の大切さや素晴らしさを実感できたし、またその平和な日々を守るコトがいかに重要か教えられました。
驚いたコトに、彼らの共同体はいつ命の危機が迫るか分からない緊張状態で暮らしていたにもかかわらず、学校や保育所なども作って運営していたそうデス。
日常の生活行為だけでなく、教育や就業など、人が各々の人生を生きていく上で必要なコトを全て行い、ホントに人間らしい生活を実現していたんだと思うと、何不自由なく暮らせているのに不平不満ばかり言って暮らしている自分が恥ずかしく思えました。
また、この作品は生活と戦闘とを繰り返していくのデスが、そんな中にもみんなちゃんと幸せを見出していて、三男アザエルはハイアという女性と結婚し、次男ズシュはベラ,長男トゥヴィアはリルカという新しい伴侶を見つけ、それぞれ終戦後も幸せな家庭を築いたそうデス。
戦争映画の中にはラヴロマンスが入り込む余地がないコトが多いデスが、この作品はそういった側面での楽しみもありマス。
というか、本日の書き込み1でも書きましたが、ダニエル・クレイグがカッコ良い(≧▽≦)/
スイマセン、素晴らしい作品なのにこんなヨコシマな考えを持ち込みまして・・・^^;
でも、最後に兄弟たちの実際の写真が出るのデスが、みんな美男子デスよ。
ビックリするくらい!!ホント、俳優なんじゃないか!?ってくらいデス。
というか、ぶっちゃけそれぞれの役者さんよりカッコ良いカモ^^;
まぁ、役者さんそれぞれ器量良しではありマスが、種類が違うというか。実際の本人たちの方が上品な顔立ちしてマスね。王室貴族みたいな。
実際、トゥヴィアの妻となったリルカは初めてトゥヴィアに会った時のコトをのちに「こんなにカッコ良い人がこの世にいるなんて思わなかった。一目惚れね。」と語ったそうデス。
良いな・・・(←バカ^^;)
とまぁ、いろんな意味での感動や楽しみのある作品デス。
前述の通り、今のところワタシの“今年のイチ押し”デス。
たぶん、地元にまでロードショーが来たら、もう一度見に行くと思いマス。
DVDはおそらくほぼ確実に買いマス。
皆サマもどんな形でもいいので、ぜひ一度ご覧になって下さい!!
(追記)
しかし、この作品の原作は“ディファイアンス ヒトラーと闘った3兄弟”というものなのデスが、劇中に出てくる兄弟は4人なんスよね。
末のアーロンは小さくて、抵抗勢力に加わっていた実感がなかったのか・・・?
でも、けっこ~物語上は貢献してたのデスが、それはフィクションの部分なんでしょかね?
Category :
「劇場で映画観てきたよ~」報告
本日、映画『チェンジリング』を見て来ました。
けっこ~待ちに待っていたのデスが、ちょうど今日から公開開始で、いつもは大して混んでない田舎の映画館も、今日だけはこの作品を上映しているブースだけほぼ満席でした^^;
アンジェリーナ・ジョリー主演、クリント・イーストウッド監督。
シングルマザーの母親が、仕事にいっている間に息子が失踪。5ヵ月後に警察が探し出してきた少年は全くの別人だった・・・という話。
ちなみに実話に基づくお話デス。
事件の発生から、偽の息子の発見、真の息子の再捜索、そしてその先に待っている結末まで・・・ほとんど現実の事件の資料を基に忠実に再現されているそうデス。
舞台である1930年頃のロサンゼルスでは、市警が暴力と圧力とで市民を虐げ、多くの悲劇を生んでいた。
そんな歴史を伝えるとともに、この作品は“母親”としての女性の愛の強さに溢れていて、劇中何度も一緒に哀しみの涙を流させられマス。
そして、最後の結末を迎えた時は、希望に満ちた感動の涙も流れてきマス。
A・ジョリーは6人の子を持つ母親であり、国連の親善大使として難民の子の保護活動をしているコトはあまりにも有名。
そんなA・ジョリーが、最も忌み嫌う“子供の不幸”な話を演じるのは辛かったと思いマス。
でも、それだけに“ただただ息子を愛している母親”,“息子を捜索してくれている警察に対する謙虚な母親”,“息子でない少年を息子だと押し付け、再捜査しようとしない警察に対して、真実のための戦いを起こす母親”,“どんな状況でも息子は生きていると信じ続ける母親”,“最後まで息子を誇りに思う母親”・・・いろんな状況下での母親としての普遍の愛を表現していて、素直に感情移入が出来ました。
それにクリント・イーストウッド監督の映画は、他にも『ミスティック・リバー』を見ましたが、自然とストーリーに引き込まれてしまって、2時間があっという間に過ぎてしまうカンジです。
重苦しいテーマを扱っているのに引き込まれ、その先、結末が気になってしょうがなくなるのデス。
それくらい映画の持つフィクションとしての非現実感が薄く、より現実味を帯びた形で見るコトが出来るのだと思いマス。
それだけに、この作品の内容はすごく残酷で、あまりにも救いがありません。
でも、最後になぜか温かな感動を味わうコトも出来マス。
そこが構成のウマイところなのカモしれませんが・・・ワタシはこの結末は好かないけど、嫌いではありませんでした。
すごく哀しい話ではありマスが、完全に悲しい話のままで終わらないところがこの作品の“映画”としての魅力デス。
ぜひ、一度見てみて下さい。
しかし・・・
アンジェリーナ・ジョリー痩せすぎ・・・(〇_〇)
あれは憧れの美貌・体系を通り越して、ちょっと心配というか、気持が悪いくらいデス。。。
役作りのために更に痩せたのカナ?
昨年『ウォンテッド』を見た時はそれほど感じなかったんだからな・・・。
しかも、当時の女性の流行なのか、かなり化粧が濃いので余計に。。。
けっこ~待ちに待っていたのデスが、ちょうど今日から公開開始で、いつもは大して混んでない田舎の映画館も、今日だけはこの作品を上映しているブースだけほぼ満席でした^^;
アンジェリーナ・ジョリー主演、クリント・イーストウッド監督。
シングルマザーの母親が、仕事にいっている間に息子が失踪。5ヵ月後に警察が探し出してきた少年は全くの別人だった・・・という話。
ちなみに実話に基づくお話デス。
事件の発生から、偽の息子の発見、真の息子の再捜索、そしてその先に待っている結末まで・・・ほとんど現実の事件の資料を基に忠実に再現されているそうデス。
舞台である1930年頃のロサンゼルスでは、市警が暴力と圧力とで市民を虐げ、多くの悲劇を生んでいた。
そんな歴史を伝えるとともに、この作品は“母親”としての女性の愛の強さに溢れていて、劇中何度も一緒に哀しみの涙を流させられマス。
そして、最後の結末を迎えた時は、希望に満ちた感動の涙も流れてきマス。
A・ジョリーは6人の子を持つ母親であり、国連の親善大使として難民の子の保護活動をしているコトはあまりにも有名。
そんなA・ジョリーが、最も忌み嫌う“子供の不幸”な話を演じるのは辛かったと思いマス。
でも、それだけに“ただただ息子を愛している母親”,“息子を捜索してくれている警察に対する謙虚な母親”,“息子でない少年を息子だと押し付け、再捜査しようとしない警察に対して、真実のための戦いを起こす母親”,“どんな状況でも息子は生きていると信じ続ける母親”,“最後まで息子を誇りに思う母親”・・・いろんな状況下での母親としての普遍の愛を表現していて、素直に感情移入が出来ました。
それにクリント・イーストウッド監督の映画は、他にも『ミスティック・リバー』を見ましたが、自然とストーリーに引き込まれてしまって、2時間があっという間に過ぎてしまうカンジです。
重苦しいテーマを扱っているのに引き込まれ、その先、結末が気になってしょうがなくなるのデス。
それくらい映画の持つフィクションとしての非現実感が薄く、より現実味を帯びた形で見るコトが出来るのだと思いマス。
それだけに、この作品の内容はすごく残酷で、あまりにも救いがありません。
でも、最後になぜか温かな感動を味わうコトも出来マス。
そこが構成のウマイところなのカモしれませんが・・・ワタシはこの結末は好かないけど、嫌いではありませんでした。
すごく哀しい話ではありマスが、完全に悲しい話のままで終わらないところがこの作品の“映画”としての魅力デス。
ぜひ、一度見てみて下さい。
しかし・・・
アンジェリーナ・ジョリー痩せすぎ・・・(〇_〇)
あれは憧れの美貌・体系を通り越して、ちょっと心配というか、気持が悪いくらいデス。。。
役作りのために更に痩せたのカナ?
昨年『ウォンテッド』を見た時はそれほど感じなかったんだからな・・・。
しかも、当時の女性の流行なのか、かなり化粧が濃いので余計に。。。
Category :
「劇場で映画観てきたよ~」報告
今年初の映画鑑賞デス。
鑑賞したのは邦画『誰も守ってくれない』。
佐藤浩市,志田未来主演。
ストーリーは、容疑者の妹を守る刑事のお話デス。
殺人犯の少年の家族が、突如突きつけられた少年の犯行の事実。
バラバラになっていく加害者家族。
バラバラになった後、家族一人一人に襲ってくるマスコミやネットの中傷の嵐。
誰も信じられなくなった妹は、刑事と一緒に逃げる中でずっと心を閉ざしているけど、内心はものすごいスピードでいろんなコトを考えマス。
現実にありうる話なので、率直に恐ろしいと思ったし、現代人はみんな病んでるなぁと感じました。
まだ身近にそういうコトが起こっていないので、TVで毎日のように殺人事件が報道されても、時事問題の一つとして常識的・客観的に知ろうとする程度で、実際にその報道の裏側では何が起こっているのかは考えもしてませんでした。
往々にして、視聴者は被害者と被害者家族の気持ちは必然的に理解しようとするけど、加害者側のコトはその半分も考えませんしね。
でもこの作品を見て、容疑者の犯行が明らかになっていく過程には、加害者家族の想像を絶するような苦悩が隠されているのだと、新たな一面から考え直させられました。
押し寄せてくるマスコミの波,突然離れていく親戚や友人たち・・・
「自分のせいじゃない」のに「自分の責任でもある」。
「加害者を信じたい」けど「信じられない」。
想像したくもないくらい孤独だし、苦しい葛藤だと思いました。
作品の中では“加害者の家族も同罪”と何度も言われマス。
もちろん加害者の家族も一生罪を償っていく責任があるとは思いマス。
でも、加害者の家族をただ糾弾して、人間以下の扱いをして追い詰めて、死にまで追いやって・・・そんなコトに何の意味があるんでしょうか。
しかも事件について真剣に受け止めようとする者ならまだしも、面白半分に盛り上げようとしてやってる人もいるのが信じられません。
ワタシもネットでいろんな書き込みをして日々を過ごしているわけデスが、いくら相手が顔も名前も分からない人であっても、その人を傷つけるような書き込みは絶対にしないデス。
でも、現実に掲示板などに行けば、読んでるだけで不快になるような書き込みは沢山あるし、実際、ワタシも書き込まれた内容で憂鬱になったコトもありました。
“文字”が持つ力は強いし、時としてとても怖いデス。
それが“匿名性”の中で忘れ去られているのが怖いし、平気でそういうコトをして、例え相手を死に追いやっても何の罪にも問われないし、そいつ自身も反省なんかしない。
それって、なんか人としておかしくありませんか。
“自分だと分からなければ何やっても良い”なんて、犯罪者が犯行を隠すのと一緒じゃありませんか。
実際、自分の周りに加害者家族がいたら、どうしたら良いかは正直分かりません。
でもまず間違いなく、ただ誹謗中傷したりはしないと思いマス。
それにトモダチが加害者家族になったとしても、自分から離れて行ったりはしません。
作品中、刑事は加害者の妹の気持ちを理解しようするし、妹もずっと心を閉ざしているけど、刑事が気持ちを理解しようとしてくれるコトで事件と向き合うようになり、加害者家族として今自分がしなければならないコトをしっかり考えられるようになりマス。
本来は社会が刑事のようにあるべきで、現代のようにものすごい勢いで加害者家族を糾弾したら、加害者家族は防衛本能として“自分は何も悪いことはしていないのに、なんでこんな目に合わなければならないのか”と、半ば被害者意識で物事を考えるようになってしまい、どのように責任を負っていくかという一番大事な部分がおざなりになってしまうと思いマス。
そんないろんなコトを考えさせられる作品でした。
皆サマも一度このテーマについて考えてみて下さい。
監督のこだわりとして、この作品はいろんな関係者の視点(被害者・加害者・捜査員・マスコミ・やじうま・・・)から描き、事実だけをドキュメンタリーのように伝えていマス。
なので、いろんな側から事件を考えるコトが出来ると思いマス。
裁判員制度が始まった今だからこそ、改めて見直すべき問題がいっぱいあると思いマス。
鑑賞したのは邦画『誰も守ってくれない』。
佐藤浩市,志田未来主演。
ストーリーは、容疑者の妹を守る刑事のお話デス。
殺人犯の少年の家族が、突如突きつけられた少年の犯行の事実。
バラバラになっていく加害者家族。
バラバラになった後、家族一人一人に襲ってくるマスコミやネットの中傷の嵐。
誰も信じられなくなった妹は、刑事と一緒に逃げる中でずっと心を閉ざしているけど、内心はものすごいスピードでいろんなコトを考えマス。
現実にありうる話なので、率直に恐ろしいと思ったし、現代人はみんな病んでるなぁと感じました。
まだ身近にそういうコトが起こっていないので、TVで毎日のように殺人事件が報道されても、時事問題の一つとして常識的・客観的に知ろうとする程度で、実際にその報道の裏側では何が起こっているのかは考えもしてませんでした。
往々にして、視聴者は被害者と被害者家族の気持ちは必然的に理解しようとするけど、加害者側のコトはその半分も考えませんしね。
でもこの作品を見て、容疑者の犯行が明らかになっていく過程には、加害者家族の想像を絶するような苦悩が隠されているのだと、新たな一面から考え直させられました。
押し寄せてくるマスコミの波,突然離れていく親戚や友人たち・・・
「自分のせいじゃない」のに「自分の責任でもある」。
「加害者を信じたい」けど「信じられない」。
想像したくもないくらい孤独だし、苦しい葛藤だと思いました。
作品の中では“加害者の家族も同罪”と何度も言われマス。
もちろん加害者の家族も一生罪を償っていく責任があるとは思いマス。
でも、加害者の家族をただ糾弾して、人間以下の扱いをして追い詰めて、死にまで追いやって・・・そんなコトに何の意味があるんでしょうか。
しかも事件について真剣に受け止めようとする者ならまだしも、面白半分に盛り上げようとしてやってる人もいるのが信じられません。
ワタシもネットでいろんな書き込みをして日々を過ごしているわけデスが、いくら相手が顔も名前も分からない人であっても、その人を傷つけるような書き込みは絶対にしないデス。
でも、現実に掲示板などに行けば、読んでるだけで不快になるような書き込みは沢山あるし、実際、ワタシも書き込まれた内容で憂鬱になったコトもありました。
“文字”が持つ力は強いし、時としてとても怖いデス。
それが“匿名性”の中で忘れ去られているのが怖いし、平気でそういうコトをして、例え相手を死に追いやっても何の罪にも問われないし、そいつ自身も反省なんかしない。
それって、なんか人としておかしくありませんか。
“自分だと分からなければ何やっても良い”なんて、犯罪者が犯行を隠すのと一緒じゃありませんか。
実際、自分の周りに加害者家族がいたら、どうしたら良いかは正直分かりません。
でもまず間違いなく、ただ誹謗中傷したりはしないと思いマス。
それにトモダチが加害者家族になったとしても、自分から離れて行ったりはしません。
作品中、刑事は加害者の妹の気持ちを理解しようするし、妹もずっと心を閉ざしているけど、刑事が気持ちを理解しようとしてくれるコトで事件と向き合うようになり、加害者家族として今自分がしなければならないコトをしっかり考えられるようになりマス。
本来は社会が刑事のようにあるべきで、現代のようにものすごい勢いで加害者家族を糾弾したら、加害者家族は防衛本能として“自分は何も悪いことはしていないのに、なんでこんな目に合わなければならないのか”と、半ば被害者意識で物事を考えるようになってしまい、どのように責任を負っていくかという一番大事な部分がおざなりになってしまうと思いマス。
そんないろんなコトを考えさせられる作品でした。
皆サマも一度このテーマについて考えてみて下さい。
監督のこだわりとして、この作品はいろんな関係者の視点(被害者・加害者・捜査員・マスコミ・やじうま・・・)から描き、事実だけをドキュメンタリーのように伝えていマス。
なので、いろんな側から事件を考えるコトが出来ると思いマス。
裁判員制度が始まった今だからこそ、改めて見直すべき問題がいっぱいあると思いマス。
Category :
「劇場で映画観てきたよ~」報告
年末、仕事納めの今日、毎年恒例の餅つき大会が午後から行なわれ、その後、昨年から始まったリハ科の打ち上げで盛り上がり、ほどよく疲れた後に、久しぶりに映画を見て来ました。
今回、鑑賞したのは『ハッピーフライト』。
『ウォーターボーイズ』,『スウィングガールズ』の矢口史靖監督作品。
田辺誠一,綾瀬はるかなど豪華俳優人が出演。
まぁ、一年の終わりで、堅苦しいテーマではなく、ゆる~く見られる作品としてChoiceしたワケですが、面白かったデスよ。
内容は、飛行機に関わっているあらゆる職種についてや、それぞれの人たちの事情などを描いたもので、完全なるコメディ。
矢口監督らしいコミカルな演出で、楽しく鑑賞できました。
それに『スウィングガールズ』もそうでしたが、主要メンバーはみんな協力して一つのコトに取り組むのに、変に主人公の恋愛とかそういう余計なエピソードがないのが良いデス。
まぁ、ストーリー全体が前作で言う一つの“ステージ”になっているので、間延びした感はありマスが。
それと強いて言うなら、矢口監督作品にはいつも登場する、洋楽BGM・スローモーションギャグシーンが無かったコトが残念でした^^;笑
気楽に見られる、間違いのない作品デス。
今回、鑑賞したのは『ハッピーフライト』。
『ウォーターボーイズ』,『スウィングガールズ』の矢口史靖監督作品。
田辺誠一,綾瀬はるかなど豪華俳優人が出演。
まぁ、一年の終わりで、堅苦しいテーマではなく、ゆる~く見られる作品としてChoiceしたワケですが、面白かったデスよ。
内容は、飛行機に関わっているあらゆる職種についてや、それぞれの人たちの事情などを描いたもので、完全なるコメディ。
矢口監督らしいコミカルな演出で、楽しく鑑賞できました。
それに『スウィングガールズ』もそうでしたが、主要メンバーはみんな協力して一つのコトに取り組むのに、変に主人公の恋愛とかそういう余計なエピソードがないのが良いデス。
まぁ、ストーリー全体が前作で言う一つの“ステージ”になっているので、間延びした感はありマスが。
それと強いて言うなら、矢口監督作品にはいつも登場する、洋楽BGM・スローモーションギャグシーンが無かったコトが残念でした^^;笑
気楽に見られる、間違いのない作品デス。