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これは日記というか、何というか・・・気まぐれ記?
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最近、夜中に暴風雨と雷がすごくて、かなり寝不足気味のカタツムリです。
夜中に雷は反則でしょ・・・音もスゴイけど、何より稲光がスゴくて、一瞬にして夕方くらいの薄暗さまで辺りが明るくなるものだから、気になって眠れません(-_-)(-_-)(-_-)
おまけにうちのビビリ犬たちが大騒ぎ@@@@@
外犬は今にもショック死しそうな叫び声を上げ、中犬はご先祖様の仏壇の前でビビしょん。
ど~しよ~もねぇ・・・^^;



さて、本日、映画『スカイ・クロラ』を鑑賞して参りました。
朝一、10:30の回を目当てに行ったのデスが・・・ビックリ!!
着いてみるとチケットカウンターには長蛇の列!!!!
「なして・・・(○_○)??」
と、思っていたら、よく見ると周りは子供連ればかり。
どうやら、『崖の上のポニョ』目当ての客が列を長くしていたようデス。
ポニョ公開開始直後・夏休み・レディースデイ・朝一・・・いろ~んな条件が重なってたみたいデス(--;)
しかし、ヒドいのは映画館側の対応!
ポニョ客もそうじゃない客も一緒に列に並ばせるものだから、他の作品の上映開始時刻を過ぎてもチケットが買えないありさま。。。
しかもポニョはその日の第2回上映分(11:00の回)までチケットが完売状態で、今並んでても第3回目の午後からのチケットしか手に入らないというコトで、時間的には余裕のある客ばかりなわけデス。
普通、ポニョ目当てが多いって分かった時点で、ポニョ専用カウンターを設けたりするだろ・・。
ホントに考えがない!イオンシネマ高崎!!!!
結局、何とかチケットを購入して、10分遅れで会場入りして、頭の数秒が欠けてしまいました(T_T)
しかも、『スカイ・クロラ』はほんの10名程度しか客がいない状態。
あれは絶対に客を逃してマスよ。
あれじゃ、他の作品観に来た人は並ぶ気になりませんもの。。。


しかし、ワタシは並んで観て来ました。
ハッキリ言って、感動しました(T_T)
たぶんもう一度見に行きマス☆二度見なんてしたコトないけど、これは観に行くカモ。
『スカイ・クロラ』は森博嗣氏の同名小説をアニメーション化した作品。
“スカイ・クロラ”シリーズ(?)は全部で6作品。
スカイ・クロラはその中でも一番初めに出版された作品デスが、物語上の時系列で行くと最終話にあたるそうデス。
ストーリーは、実在するか定かでない、おそらくヨーロッパのどこかの国で、“ショーとしての戦争”を繰り広げている若者たちの姿を描いたもの。その若者たちは政府から公認された戦争請負会社(ロストック社)に所属し、敵会社(ラウテルン社)のパイロット相手に戦争をしていマス。つまり彼らのしている戦争は、政府のプロジェクトの一つとして合法的に許可を受けているワケです。そして、そんな戦争に身を投じているのは“キルドレ”と呼ばれる“大人になれない子供たち(大人にならない子供たち?)”。彼らが戦闘機に乗るのは、子供の姿の方が戦闘機には乗りやすいという利点から。そしてもう一つ、彼らは戦争などで負傷しない限り死なないから。
この物語をアニメーションに起こしたのは、押井守監督。
『イノセンス』から早くも4年が経ち、やっと押井監督の新作が登場デス。
しかも、音楽はずっと押井作品に携わってきた川井憲次氏。最強コンビです!!
テーマ曲が最近、頭から離れません。切なくなるほど、情感たっぷりな音楽デス。
そして、声優陣は、加瀬亮,菊池凛子,谷原章介,栗山千明ほか多数の豪華俳優陣。

今年の夏は宮崎・押井の2大巨匠対決(ポニョVSスカイ・クロラ)と世間では騒がれ、2作品ともベネチア国際映画祭にノミネートされていマスが、全く作品のジャンルも性格も異なる2作品を競わせるってのはどうなんでしょ(-_-)?
宮崎アニメはここ最近、CGを駆使して作品を作ってきましたが、ポニョは作画の原点に立って、一枚一枚手書きのアニメに戻してきたらしいデスね。それでこそ、宮崎アニメ!
やっぱ下手にCGを使って欲しくない、手書きの温もりのある画が宮崎アニメの醍醐味デスからね。
一方、押井作品は手書きアニメと3DCGを融合させて、新たな世界観を作り上げていマスが、その壮大さはいつも圧倒されマス。押井作品はその映像美を見るだけでも楽しめマス。
しかも、イノセンスもそうでしたが、押井監督は3DCGをただ映像の緻密化(リアリティ?)のために利用しているのではなく、物語の進行に合わせて、人物の精神状態や世界観の変化などを表現する道具として使用しているのが素晴らしいデスよね。そういう発想もあるんだなぁ~と。
2人とも素晴らしい監督デス。やっぱ日本のアニメーションは層の厚さをカンジますね。


さて、本題に戻りマスが。
話は、パイロットの函南優一がロストック社の兎離州基地に配属されるところから始まりマス。
兎離州基地は女性司令官の草薙水素を筆頭に、パイロットの土岐野,湯田川,篠田、女性整備主任の笹倉など整備士数名で組織されている。ちなみに整備士以外はおそらく全てキルドレ。草薙も元はエースパイロット。
(ちなみに、草薙は冷徹冷静な女性。土岐野はお調子者。湯田川は穏やかで几帳面。篠田は口数少なく自由。)
函南は着任早々、新しい機体“散香”を引き継ぎマス。その機体の前任者は、栗田仁朗なる人物。
前任者のコトは気になりつつも、函南の操縦技術は素晴らしく、すぐにエースパイロットになりマス。
函南は主に同室の土岐野と組んで仕事をし、プライベートでも何かとつるんでいました。
そして、その中で函南はよく思うのデス。
「(この人)どっかで会ったような気がする」「この機体、何だかしっくりくる」「どこかで食べたような味がする」・・・デジャヴのような感覚。
函南は草薙にどこか懐かしさを覚えていて、彼女のコトが何かと気にかかりマス。
草薙や周りのスタッフたちも明らかに何かを隠しているけど、それを表に出さない。
そして、次第に明らかになるのが、機体の前任者・栗田仁朗は草薙によって殺されたという事実。
更に、基地に突然顔を出してきた草薙の妹・瑞季は、実は草薙自身の娘だというコト。
これらの事実関係の根底には、切なくも儚い恋がありました。

ある日、ラウテルンとの戦闘で湯田川が命を落としマス。
湯田川を討ったのは、黒豹が描かれた“スカイリィ”という機体で、その機体の操縦士は“ティーチャー”と呼ばれる“大人の男”。キルドレではない、子供の力では到底勝ち得ない相手。
「ティーチャーに空で会ったら、生きては帰れない」と言われるほど。
その事件をきっかけに、今まで冷静だった草薙の精神が破綻しマス。というか、今まで破綻しつくしていた精神状態がアラワになったのデス。
草薙は一人でティーチャーに戦いを挑み、命からがら帰還しマス。
今までにも、草薙はティーチャーが自分の部下を傷つける度にそんな無茶をしていました。
そして、続いてロストック社の各基地合同で一大プロジェクトが実行されるコトとなりマス。
ラウテルン社の総攻撃。
そこで集まったパイロットたちは、やはりキルドレ。
その中に三ツ矢という女性パイロットがいて、彼女は草薙と函南のコトを何かと詮索しマス。
そして、三ツ矢はある日函南に打ち明けるのデス。
「自分がどこの出身で、前はどこの部隊に所属してたか覚えてる?」
そう。キルドレたちには、各々の基地に配属されるまでの前の記憶が無いのデス。
その事実に直面し、自分が何者なのか分からない恐怖から、三ツ矢は取り乱しマス。
更に、兎離州基地には死んだはずの湯田川によぉ~く似た合原という男がパイロットとして赴任してきました。
三ツ矢の話、合原の赴任・・・その中で函南は次第に記憶を甦らせていくのデス。
それは草薙との記憶。前任者・栗田仁朗のコト。そして、ティーチャーとの因縁。
そして、函南自身もティーチャーとの戦いに身を投じて行きマス。。。


キルドレたちが戦争を続ける理由。
戦争がこの世からなくならない理由。
それは“人は世界のどこかで戦争をし、人が傷つき死んでいく事実がないと、平和を実感できない”からだと、
この作品は言っていマス。
闇が無ければ光が感じられないのと一緒というワケです。
賛成しかねる理論デスが・・・人間が悲惨だと分かっていても戦争を繰り返している理由はそこにあるのカモしれませんね。
だから、戦争は終わってはならない。
このショーとしての戦争を終わらせるワケにはいかない。
だから“ティーチャー”という、勝てない存在が必要というワケです。
戦いにおいて、強者と弱者がいる。
これも今の世界を映し出していると言えるカモしれません。
そして、“キルドレ”という非現実的な存在は、現代の若者を象徴しているそうデス。
現代の子供たちは討たれ弱く、精神的になかなか大人になれず、少し困難にぶつかるとすぐに他人を傷つけたり、自傷行為をしたりしマス。
つまり他人や自分を傷つけなければ、“自分が生きているコト”や“自分が社会の一員であるコト”を実感できないわけデス。
函南が劇中で「何で大人にならないの?」と聞かれ、こう答えていマス。
「明日死ぬカモしれないのに、大人になりたいと思う?」と。
明日はどうなるか分からない。だから、成長しなくてもいい。というワケです。
今の子供たちにピッタリ当てはまるんじゃないデスか。
しかし、そんな不条理な運命をキルドレたちも少しずつおかしいと気づき、おかしいと確信した者だけがその運命から逃れられず、精神破綻をきたしていくのデス。
「何のために毎日を生きているのか。死ぬために生きているのか。そんなハズじゃない。。。」
そんな悲痛なメッセージを製作者は込めているのデス。

そんなメッセージ性のある作品であり、物語は静かに進行して行きマスが、戦闘シーンはかなりエキサイティングで、メリハリがあり全然飽きませんでした。
戦闘シーンの迫力はスゴイです!
3DCGにより描かれた戦闘機がリアルで、ものスゴイ臨場感!思わずこっちまで緊張してしまいマス。
特にティーチャーの間合いに入った時は、曲と相まって恐怖感まで起こってきマス。
これも見どころの一つデスね!

それから・・・声優に関してはあまり言わないでおきマス。
ただ、声優は俳優になれるけど、俳優は声優になるのは難しいカナ・・・。
特に草薙や函南みたいな静かな役ほど難しいんだとは思いマスが。
あぁでも、谷原章介の演技力は上がってたと思いマス。少なくても韓ドラ“イヴのすべて”の時よりは成長しました。


また、この物語の中には純粋な愛の物語も含まれていマス。
ここから先は本気でネタバレしマスので、是非一度劇場で作品をご覧になってから読んで下さい。
ワタシも作品の結末を知っている前提でお話しマス。




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キルドレはモルモットでしかない。
戦いの道具として利用されるだけの存在。
今の自分というものが滅びれば、クローンのようにまた甦らせられ、再び戦いに身を投じなければならない。
愛する者の記憶すら思い出せなくなる。
悲しい運命デスよね。
栗田と草薙は愛し合っていて、その事実に辿り着いた時に栗田は精神破綻を来たし、草薙は栗田を楽にしてあげるために泣く泣く殺したんデスよね。
そして、甦ったきたのが函南。
苦しかったでしょ~ね、草薙。
愛する人を自分の手で殺して、その人のクローンが現れて、全く同じ声で話し、全く同じ仕草をする。
(草薙だけじゃなく、他のキルドレたちも函南に「栗田の生まれ変わりだ」というコトは隠していたけど。そういう風にプログラムされているのか??)
キルドレの運命・草薙のコト、それらを思い出した時、函南が「君は生きろ」と言い、草薙は泣き崩れたけど、きっと今まで張り詰めていた気持ちが一気に溢れてしまったんでしょね。ワタシも思わずほろりと泣けてしまいました(;_;)
悲しすぎる恋デスよね。
それに最後に、函南がティーチャーとの戦いに身を投じていくのも切ない。
草薙を楽にしてあげるためにも、ティーチャーという絶対に倒せない存在を打ち砕き、この戦争を終わらせたかった。
そして、おそらくティーチャーとの子供である瑞季の存在を知り、嫉妬心もあったんじゃないデスかね。
ティーチャーとの一騎打ちに向かう前に、戦闘機上と基地上で見詰め合った2人のシーンは、切なくて涙が出ました。。。


押井監督がこの作品を「素直な作品」だと証しただけあって、今までの押井作品よりとても分かりやすいストーリーでした。
それだけにすごく気持ちに伝わってくるものが多い作品でした。


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今日は暑かったデスねぇ(×_×)
まだ完全な梅雨明け宣言は出されていませんが、早くも夏本番といったカンジで。。。
ワタクシとしては非常に住みにくい気候となってまいりました( ̄□ ̄;|||)

さて、今日は日記2本立てで行きたいと思いマス。
一つは映画報告。
例によって、本日レイトで映画観て参りました☆一人で。
今回鑑賞したのは、邦画『クライマーズ・ハイ』。
今かなり話題の作品デスが、前々から絶対に観たいと思っていたので、公開初日で衝動的に観に行ってしまいました。
この作品、我らが群馬が舞台というコトで、群馬県内でもかなり注目されていましたが、「しょせん田舎の映画館」と思って、うっかり初日に観に行ったら、うかつでした。。。
今までに見たコトのないお客さんの入り!!
全席指定席デスが、ほとんど埋まってしまっている状態。
一人で観に行って正解でしたね。
トモダチと行っていたらおそらく席は離れ離れになっていたでしょ~。
すごいデス。
(ちなみに先日書き込んだ“日本語字幕版”は、ユニバーサルデザイン的な意味だったみたいデス)


ストーリーは1985年8月12日、群馬県と長野県の県境に位置する御巣鷹山に日航機が墜落した事故を題材に、その時に繰り広げられていた報道(新聞)と人間模様を描いたもの。
出演は、堤真一,堺雅人,小澤征悦,尾野真千子,山崎努などなど豪華キャスト。
原作は横山秀夫氏の同名小説。
作者自身は元上毛新聞記者で、その体験を元に作品を書いたそうデス。
なので、いちおうフィクション。
群馬の地方新聞社が舞台というコトで、出てくる風景は見知っているところが多かったデス。
例えば、物語の中心となる北関東新聞社のビル。(まぁ、これは架空で実際は上毛新聞デスが)
あれはおそらく破綻した山○証券の廃ビルだったんじゃないデスかね?
あのビルの前にあった交差点と歩道橋は、前橋駅から50号に向けて伸びる道と50号線との交差点だと思われ、付近にある新生パーキングと思われる駐車場もみられました。
それにおそらく中央通りも出てましたよね。(オリオン通りではないと思うのデスが)
それから新前橋駅も登場。西口から東口に渡っている歩道橋(自由通路?)が映ってました。
あと、日赤HPも出てました。
部分部分見覚えのあるところは沢山出ていましたが、どれも23年前の雰囲気を出すために少し古い町並みに変身してました。
と、ついつい地元Talk炸裂してしまいましたが、話戻しマス。

物語は、61歳になった主人公の悠木(堤真一)が、親友である安西の息子・燐太郎(小澤征悦)と一緒に谷川岳に登ろうとする所から始まる。
クライマーズ・ハイとは・・・登山時に興奮状態が極限まで達し、恐怖感が麻痺してしまう状態。
悠木は燐太郎とロッククライミングをしながら、自らが体験したクライマーズ・ハイを回想していく。
当時、北関東新聞社の遊軍記者だった悠木は、社内の“登ろう会(登山クラブ)”のメンバーで、よく先輩の安西(高嶋政宏)と登山をしていた。安西とは家族ぐるみの付き合いで、子供同士も仲が良かった。
1985年8月12日。
その日も仕事終わりに2人は谷川岳に登る約束をしていて、新前橋駅で待ち合わせをしていた。
しかし、社を出ようとした悠木に県警キャップの佐山(堺雅人)が駆け寄り、耳元で囁いた(←^^;)。
「ジャンボが消えたそうです」
急遽、全権デスク(取材対象ごとの責任者?)に任命された悠木は、現場が混乱する中、安西との約束を果たせず必死で指揮をとった。悠木は慎重派で有名で、2重に裏が取れなければ記事にはしなかった。そのため、ジャンボが落ちたのは群馬だろうとほぼ確信できた時点で、佐山と神沢(地域報道部員)を現場の山に送った。
一方、安西は社の裏業務を必死で処理し、急いで新前橋駅に駆けつけたが電車に間に合わず、そのままクモ膜下出血を発症して意識不明となり日赤に運ばれる。
悠木にその事実が知らされたのは翌日で、病院に駆けつけた時には遷延性意識障害のため植物人間のような状態となっていた。
そんな苦境の中、悠木はワンマン社長(山崎努)や社会部部長(等々力:悠木と昔組んでいたが諸事情から敵対)の妨害に遭いながらも必死でスクープを挙げようとした。
もちろん、日航機事故取材班の班員全員がそれを目標に全力で飛び回った。
しかし、佐山と神沢が必死でつかんだ一番最初の現場雑観は、無線連絡が出来ずに連絡が遅れたり、締切時間が急遽短縮されたりしたコトで記事から落とされしまう。
日航機事故の現場は想像をはるかに超えた悲惨さで、飛行機や遺品の残骸に混じって、乗客の肉片や内臓片が飛び散っている状況。あたりに立ち込める死臭と油の匂い。
その中を必死で駆け回った佐山たちは、一番最初にその目で観た現場雑観が載らなかったコトに激怒する。
佐山は、いくつもの過酷な現場を経験していただけにすぐに落ち着いた。
しかし、神沢は今まで地域ネタの取材ばかりをしていて、人間の遺体はおろか、バラバラとなった状態のものを見たのは初めてで、PTSDになってしまいそのまま精神破綻を来たす。
そのくらい、この事故は悲惨なものだったのだ。
その後も、班員が必死で持ってきたネタが社長によって紙面の端っこに追いやられたりと、社内でいろいろな妨害に遭い、それでも日航機墜落現場の上野村に待機している遺族のために、遺族に真実を伝えるために、地方紙である北関東新聞の意地で、報道を続ける。
そして、地方報道班の玉置(尾野真千子)が事故原因についての有力なネタを持ってきたコトで、悠木は決断を迫られる。
まだ全国紙が感づいていない真実をすっぱ抜くチャンスで、佐山と玉置は裏取りに奔走する。
悠木は差し替え(スクープ)の可能性を社会部部長に告げ、ギリギリまで2人の裏とり報告を待つ。
悠木の神経は昂り、日航機事故発生以来、ず~っとクライマーズ・ハイ状態だった日々を思う。
そして、2人からの連絡が来る。その時の悠木の決断とは。


日航機墜落。
墜落地点:御巣鷹山山中(東経138度41分49秒・北緯35度59分54秒)
墜落時刻:1985年8月12日。18時56分27秒92。
乗員・乗客:524人(うち生存者4人)。

ワタシは当時まだ2歳で、この事故のコトを知ったのはずっと後。
劇場内は20代の方もいましたが、うちの両親くらいの年代の方がほとんどでした。
そのくらい、まだあの事故の報道を生で見聞きしていた人にとっては、色あせるコトの無い鮮明な記憶なのでしょ~。
うちの母は高所恐怖症なのデスが、実は子供が出来る前は高所は全然平気で飛行機にもほいほい乗れたそうデス。でも守るものが出来て、この日航機事故の報道を見て、一気に恐ろしくなったと知りました。そのくらい、人の感覚すらも変えてしまうほどの悲惨な事故だったんデスね。
劇中では遺族の気持ちと視聴者への配慮から、現場の細かな描写は登場人物の口頭での語りに留まり、映像での遺体描写などはみられませんでした。
でも、おそらくそうしないと目を覆いたくなるほどの状況だったのでしょ~。
もし詳細な描写がなされていたら、物語の主題がこの事故の強烈なイメージに飲み込まれてしまうでしょ~。
報道関係者は一つのニュースが飛び込むとそれを“ネタ”として扱い、他者に遅れを取らぬよう、そして他社を一早く抜くよう、必死になって取材をしマス。
その中で真実を伝えるために慎重になり、報道するコトで及ぼす影響を考え、一字一字責任を持って綴っていくワケです。
劇中でも言われていマスが、ネタは生き物で、取材対象もやっぱりほとんどが生き物で、刻々と変化する現場や関係者の気持ちを、慎重にそして時には大胆に伝えていかなければなりません。
でも報道関係者自身だって人間デス。
どんな取材も仕事だし、自分のやりたいコトだけが出来るわけではありません。
現場を見てPTSDになった記者も、佐山の現場雑観を読んで泣いた記者たちも、この事故を報道陣として客観的に捉えながらも、やはり人間的な感情を抑えるコトは出来ずに苦しみながら報道しているわけデス。
私たちは紙面上に、報道人一人一人のそんな苦悩をなかなか見るコトが出来ないで、時にマスコミを批判するコトもありマス。
報道人だって人間なんだから、間違いだってありマス。
私たち視聴者は、そういうコトをもっと考えるべきなのカモしれません。
そして、報道人自身も“ネタ”を単なる取材対象(物)として見て、他社との競争にばかり目を向けるのではなく、報道人として今やるべきコトは何かというコトを常に自問自答しながら、冷静に報道していくべきなのデスね。
神沢がPTSDになって、必死で書いた現場雑観を悠木に握りつぶされて怒り狂う場面があるのデスが、確かに記事の内容は不適切なものデス。でも、“あんな悲惨な現場に行って、それでも必死に取材した記事を何度も何度も握りつぶされたら、そりゃあ怒るし、もっと神沢のメンタル面のフォローをしようよ!”と思ってしまうのデスが、その時に悠木はこう言うんデス。
「お前を調子づかせるために520人が死んだわけじゃないんだ!」と。
その時にハッとさせられて、“あぁ、神沢も辛い想いをしたのは自分だけだ、そんな自分の功績をもっと評価して欲しいと思っていたんだなぁ。あの事故のコトを心のどこかで“自分の功績を挙げるための道具”として扱ってた部分があったんだなぁ。”、そして“ワタシ自身もPTSDになった神沢に同情していたけど、それは別問題で、神沢自身、あの凄惨な現場を見た証人として今何が出来るかを考えるべきだったんだなぁ”と思えました。
おそらくこの映画のメッセージとは、人間として生きるコト、そしてその中で社会人として働くコトとはどういうコトなのかを問いかけるものなのではないでしょ~か。
悠木自身、上司からも部下からも罵倒され、親友の安西が倒れ、離婚して離れ離れに暮らしている息子に「父さんは新聞だけが大事なんだ」と言われて仲違いをしたりと、いろんな事情を抱えているわけデス。
でも、仕事は仕事。新聞をどういうモノにしていくかは、社会人としての悠木が考えて行かなければならない重要なコト。
そして、燐太郎と登山をしながら息子のコトを思い、最後には息子と和解していく過程は、人間としての悠木が向き合っていかなければならない問題なわけデス。
ワタシ達もおそらく同様デス。
人間なんだから、割り切って考えるコトは難しいでしょ~。
でも、ただただ毎日を慌しく機械的に過ごして、クライマーズ・ハイ状態になってしまっていては、自分の見えないところ・気づかないところで取り返しの付かない失敗をしてしまっている可能性があるワケです。
それだけは避けていかなくては。常に自分を見つめ直していかなくては。
そういうコトをワタシはこの映画を見て思いました。


日航機墜落事故という凄惨な事故を題材にしてはいマスが、前述しましたが描写は押さえてありマスので、観やすくはなっていると思いマス。
必ず一度は観て頂きたいと思いマス。



(追記)
最後に、日航機墜落の犠牲者の方々のご冥福をお祈りしマス。
ご遺族の方にも哀悼の意を表したいと思いマス。


今日は久々に母と映画を観に行きました。
ホントは一人で行くつもりだったのデスが、母もこの作品が見たかったようなので、それでは一緒にというコトで^^

今回鑑賞したのは、『奇跡のシンフォニー』。
久々に心温まる映画でした☆
内容は、赤ん坊の時から養護施設で育った少年が、両親を探すために施設を飛び出し、音楽に携わるコトで両親に自分の存在を知らせようと奮闘するもの。

美女のチェリスト(ライラ)と、ロックバンドの美男のギタリスト(ルイス)の間に生まれたのがエヴァン。
両親は出会ってからたった一晩しか一緒にいられなかったけど、強く惹かれ合った。
でもチェリストとしてのキャリアを順調に重ねていたライラと、地元では多少有名ではあったがメジャーではないロックバンドに所属していたルイスでは、同じ音楽に携わる者でも住む世界が違い、ライラの父は二人の仲を引き裂いた。
その後、ライラは妊娠しているコトが分かったが、臨月の頃(?)に交通事故に遭い、流産。そのショックからチェリストとしての第一線を退き、音楽教師としてひっそりと暮らし始める。(実は自分の子は無事で、父親が勝手に養護施設に預けたとも知らず・・・)
一方、ルイスもライラを失ったショックからバンドを捨て、安定した商社マンとしての道を歩み始める。
そして、11年の月日が流れて・・・11歳になったエヴァンは、ゆっくりとミュージシャンとしての頭角を現し始めていた。
施設では楽器など与えてもらえず、もちろん何かを弾くコトも出来なかったが、エヴァンの中には常に音楽が降りてきていて、それは日常に溢れているあらゆる物音を音楽に変えてしまった。
そして、エヴァンは自分が音楽を発信していけば、きっと両親に会えると思っていた。
(両親がミュージシャンというコトは知らないが・・・)
そのため、エヴァンは施設内では変人扱いされていじめられていた。
児童福祉局のジェフリーズはそんなエヴァンに“力になる”といい、ほんの少し希望を与えてくれる。
そして、それをきっかけにエヴァンは施設を飛び出し、マンハッタンの街へ。
そこで出会ったのは、ウィザードという元締め男に囲われているたくさんのストリートチルドレン達。
ウィザードは子供たちに楽器とパフォーマンスの場所を与え、稼いだお金を徴収していた。
その集団に加わったエヴァンは、初めてギターに触れる。
しかし、彼は初めてとは思えないような音色を奏で出し、彼の才能を見抜いたウィザードは、彼に“オーガスト・ラッシュ”という芸名を与えて、両親を探すためにもメジャーを目指そうとそそのかす。
そんなある日、ウィザードの砦に強制捜査が入り、子供たちは散り散りに逃げる。
エヴァンは捕まれば施設に戻されると思い、命からがら教会に逃げ込む。
そこではゴスペル聖歌隊が聖歌を歌っていて、エヴァンは聖歌隊の女の子から楽譜の読み方を教えてもらう。
すると、すぐさまエヴァンは楽譜に曲を書き出し始め、女の子と牧師は驚き、彼を音楽の名門・ジュリアード音楽院に入学させる。
入学するなり、エヴァンはどんどんその才能を発揮し、“オーガストのラプソディ”を作曲。
それが即座に認められ、NYフィルのコンサートへの出演が決定する。
そして、このコンサートの夜、奇跡は起きる。。。


と、長々とあらすじ書きましたが、まぁタイトルが“奇跡”というだけに結末は予想出来ると思いマス。
途中ハラハラさせられたというか、こういうタイプの映画にありがちなBパターンの結末(←どんなだよ^^;)になるんじゃないかと心配しましたが、あの結末で安心しました。
終わり方がちょっと尻切れトンボで、「え~!!そこで終わりかい!!」と思わずツッコミたくなりましたが。
いちおうエヴァンが物語の中心ではあるのデスが、両親の恋愛も独立した形でしっかりあるので、あの終わり方だと、なんか双方がうまく交わらないというか・・・。

まぁでも、何より両親が子供を捨てた理由が、経済的理由とか保身のためとか若気の至りとか、そんなくだらない理由じゃなくて良かったなと思いました^^¥
それに、エヴァン役のフレディ君が何とも可愛くて、観てる間ずっとほのぼのしてしまいました。
第二のハーレイ君デスね☆
音楽を奏でる姿がすごく楽しそうで、最後のコンサートなんかホント感動デス。壮大な曲と、躍動感のあるフレディ君の指揮は鳥肌モン。
あまりに可愛いので、「やっぱ子供はハーフが良いなぁ~(´▽`)ハーフなら、こんなワタシの子でも絶対可愛いもん」と思わずつぶやいたら、母にあっさり「それこそ、奇跡でしょ( ̄ー ̄)」と言い捨てられてしまいました^^;苦笑 コンナ時ニ、ウマイコト言ッテ
確かにワタシの地元じゃ、ブロンドに青い目の海外男性に出会うなんて夢のまた夢。。。会えるとしたら南米系でしょか??(←注:南米系の男性が悪いワケではありませんm(__)m)
それから、ライラとルイスもホント美男美女で、前述しましたが2人の恋愛話でも1本映画撮れちゃうんじゃないの!?と思えるくらい、キレイな画でした☆いいなぁ~、あんなお父さんが良かったよ~(´▽`)なんつって。
あと、ウィザード役のロビン・ウィリアムズは久々の悪役で、最初は良き理解者に見えたのデスが、だんだん本性が出てきて、その変わり様が見事でしたねぇ。

ってなワケで、『奇跡のシンフォニー』。
ぜひ一度見てみて下さい。
劇場で見ても良いカモ。


そうそう。余談デスが。
帰りにいつも通り、プログラムを買おうとしたら売り切れてました(T_T)
映画のプログラムって、回ごとに売る枚数が決まってるんデスかね??
まぁ、機会があったら別の映画館で買うか。。。とあきらめましたが。
それにスーパーによって、「久しぶりにアボガドが食べたい」と思って探したら無くて、店員さんに聞いたら「今日は入荷しませんでした」だって^^;つくづくついてない。。。
まぁ、こんな日もありマスわぁね。
だいたい、映画のプログラムが切れるなんて、めったにないコトなわけだし。
(『アメリ』以来だなぁ・・・って言っても、あれはもうすぐ公開終了って時に観に行ったからで、『奇跡のシンフォニー』は21日から始まったばかりなのに^^;)
あ、それと。
先日観に行った『築地魚河岸三代目』。
あれって、漫画原作なんデスね。
そりゃあ、続編も作ろうと思えばいくらでも作れるって話デスよね。
でもワタクシ全然知らなかったのデスが、築地って近い将来、豊洲に移転するんデスってね^^;?
こりゃ、ますます幻の作品になってしまうワケだ。



やっとここ最近梅雨らしくなってきましたね^^
今日も雨||||||||||||||||
雨は嫌いデスが、この時期は仕方ない。
温暖化でただでさえ季節が巻き巻きになってるのに、これ以上乱れてほしくないデスからね。。。


さて、今日は久々にトモダチと映画見てきました。
今回鑑賞した作品は『築地魚河岸三代目』。
あ、誰かが苦笑する声が聞こえる(-_-)(-_-)(-_-)
確かに不純な動機で観に行きましたさ。
大沢氏が出てなかったら、おそらく興味も持たなかったでしょ~。
でも、捨てたモンじゃありません( ̄ー ̄)ニヤッ
普通に面白かったデスよ~♪
映画館で笑ったのは久しぶりデス(←もちろん声は出しませんが)!!
ワタシ的には最近の大沢氏の作品の中では、『ミッドナイト・イーグル』や『Life』より良いのではないかと思いマス。
きっと大沢氏に役柄が合ってるんじゃないデスかね?コメディでも☆
まぁ、『天使の牙』みたいなハードボイルドな役が一番カッコ良く見えマスが、コメディもあれだけ気持ちよくバカっぽく演じてもらえると爽やかに見えマスね(´▽`)←これが色眼鏡なのか^^;??
あんまり大沢Talkをすると皆サマ引くと思いマスので、この辺で。


内容は極普通のサラリーマン(旬太郎:大沢氏)が、恋人(明日香:田中麗奈)の実家の手伝いで築地に出入りするようになり、築地のトリコになり、脱サラして築地の人間を目指すというもの。ラブコメです。
まぁ、簡単に言うとこんなカンジで、そこにはいろんな事情はあるのデスが。。。
まず、旬太郎は課長に昇進しマスがそれはリストラ担当になるというコトで、入社以来ずっと世話になっていた先輩をリストラするコトになり、旬太郎は悩みマス。
そんな中、旬太郎は明日香の実家である築地場内中卸の“魚辰”で早朝のみ仕事を手伝いマスが、築地はそんな甘くなく、素人が中途半端な姿勢で入り込む余地など無い、まさに玄人の世界でした。
旬太郎は築地の人たちから邪険にされマスが、それでも何とか溶け込もうと色々努力しマス。
そして、遂に脱サラを決意。魚河岸の世界に飛び込みマス。
それを明日香は大反対!もちろん、魚辰のダンナ(明日香の父)も相手にもしない状態。
そこには魚辰の人間の中での深い事情があるのデス。
しかし、色々苦難を乗り越えて、最終的に旬太郎は築地に出入りするコトを認められるのデス。

魚辰が抱えてる問題はけっこ~シビアなのデスが、そこをコメディタッチで描いているので全然暗くならないし、話のテンポもまぁまぁデス。まぁ、ちょっと安易過ぎるところはありマスが・・・。
何より築地の雰囲気が活気があって、人間ドラマがあって、見どころのひとつだと思いマス。
伊東四郎や柄本明などベテラン陣が良い味を出している中、井原剛志がシリアスな役なんだけどバカっぽい一面もあり、そして、大沢たかおが作品中けっこ~ずっと能天気。
その他にも多数関係者はいて、それぞれの個性があり、ワラかしてくれマス。
製作者サイドは、この作品を映画史に残る大作にしたいようで、すでにシリーズ化が決まっているそうデス^^;
次作は来年公開。
しかし・・・シリーズ化はしない方が^^;
確かに旬太郎は築地に出入りするコトこそ認められマスが、旬太郎の河岸人生の中ではまだスタート地点に立っただけにすぎません。中途半端な状態ではありマス。
でも、そこは“その先は皆サマのご想像にお任せします”でいいんじゃないデスかね?
何を懸念しているかって、シリーズ化して“寅さん”みたいな人気映画になれば良いデスけど、だいたい第2弾って期待外れになったりするじゃないデスか?
途中で俳優の入れ替えがあったり。。。
それが怖いんデスよね・・・^^;


とりあえず、本作品はそれなりに面白いデス。
DVDでも構いませんので、一度見てみて下さい。






何だかんだ言って、今月初めはなかなか映画を観に行けず、やっと今日行くコトが出来ました(^^ゞ
久しぶりに水曜日に観に行く機会だったので、ホントは洋画『ミスト』と両方観て来ようかと思ってたのデスが、時間が合わず、今回は1作品だけとなりました。



今回、鑑賞したのは『隠し砦の三悪人』。
黒澤明監督の作品のリメイクで、劇団☆新幹線の中島かずき氏が脚本を書いたそうデス。
もちろん、オリジナル版は観たコトはありません^^;
CMとか見ている限りでは、想像のつくストーリーなんだろうなとは思っていましたが、キャストに阿部ちゃんとお祭り男の宮川大輔が出ているというコトで興味が湧き、観に行くコトにしました☆


ストーリーはお国再興の鍵を握る姫(雪:長澤まさみ)を、姫の忠臣(六郎太:阿部寛)と金に目が眩んで同行するコトになった民(武蔵:松本潤,新八:宮川大輔)の3人で守り、同盟国に亡命させるというアクションコメディです。

戦国時代。国境を接した早川・秋月・山名という3つの国があり、秋月は富国である早川と同盟を結んでいたが、貧しい山名はその貧しさゆえに早川をのっとって天下を我がものにしようという野心に満ちていた。やがて、山名は早川崩しの第一歩として同盟国・秋月を討ちにかかり、秋月は陥落。
山名は秋月の隠し財宝を奪い、更に勢力を拡大しようと目論んでいた。
しかし、秋月制圧の鍵を握る雪姫と、軍資金である金百貫は忽然と姿を消していた。
実は、姫は六郎太とともに金を持って同盟国である早川に亡命しようとしていたのだ。
その計画を立てているところを、武蔵と新八は通りがかってしまい、2人は六郎太に捕らえられてしまう。
そして、そこから逃れようとして、武蔵は早川に行く案内役を引き受け、4人の旅が始まる。
早川・秋月の国境はもちろん、行く先々で山名は兵を配備し、姫とその用心棒,そして軍資金を血眼で捜した。
その度に姫一行はピンチを切り抜け、早川への旅路を急ぐ。
しかし、山名のサムライ大将・鷹山(椎名桔平)によって一行は追い詰められ、遂に姫と六郎太は山名に捕らえられてしまう。
果たして、武蔵は姫を守り通せるのか。
そして、軍資金に隠された真実とは。。。


というカンジのお話デス。
予想していたものより、かなり楽しめたというのが率直な感想。
まず、長澤まさみと阿部寛による馬上での決闘のシーンが、とても迫力があってカッコ良かった(≧▽≦)
それから、阿部寛と椎名桔平の殺陣も☆
長澤まさみは今までのドラマとか映画(『セカチュー』『涙そうそう』など)とかを観る限りでは、単調な演技しか出来ないと思っていました。
でも、この作品ではかなり声の演技が磨かれていて、久々に好印象を持てましたね。声の演技は今回かなり意識したところみたいで、監督と相談して作り上げたそうデスが、成功だったんじゃないデスかね^^
馬術もけっこ~サマになってたし☆
阿部寛は、やっぱコメディやってても何やっててもその作品の雰囲気に溶け込んでしまい、存在感ありましたねぇ^^殺陣はかなりカッコ良かったし、本人も馬上のシーンは力を入れたそうデス。
それから、新八は最初から最後まで金に執着する卑しいヤツで、小心者のクセに状況に応じて六郎太にたてついたり、姫奪還のために手を貸したりと、バカだけど憎めないキャラでした。それを宮川大輔がハマり役で演じてました!
焼けた薪の中から必死で金を探す姿はものすごく滑稽で、でも仲間を助けるためにつぶてを打ったりするところは憎めなくて、とても性質のハッキリしたキャラに出来上がっていました。
あと、松本潤はやっぱ主役なので、お約束通り、綺麗なキャラにはなりマスよね。時代劇は初めてだったらしいデスね。
今までの松本潤のイメージだと綺麗なだけで終わってましたが、前半の新八といろいろ画策している頃は汚い部分も見え隠れしていて、人間味のあるキャラになっていたんじゃないデスかね。

あとは、作品全体の映像がとにかく迫力があって、エンターテイメントとして楽しめる作品デス。
人が斬られるところは気持ち悪くない程度のリアルさがあり、爆破のシーンはCGがふんだんに使われてはいるけど、作品の世界観にマッチしていて違和感はありませんでした。
火祭りのシーンとかもワタシはスキですね。
それに意外とキャストが豪華なんデスよ!
ちょい役なのに上川隆也,高嶋政弘,国村準,生瀬勝久,古田新太など、大物ズラリ☆


というわけで、CMのカンジから想像するよりは面白い作品だと思いマス。
1度見てみるのは良いかと・・・。



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